島原 角屋(すみや) [島原]
角屋は、1641年(寛永18年)に創業された店で、揚屋の遺構としては唯一のものとして重要文化財に指定され
現在は「角屋もてなしの文化美術館」として公開されています。
揚屋とは、芸妓などは抱えずに遊興の場所を提供する店の事で、現在の料亭のような存在でした。
ここは新選組の隊士が遊んだ場所でもありました。
島原 輪違屋(わちがいや) [島原]
島原の正式名称は「西新屋敷」だが、寛永18年(1641)に六条三筋町から現在地への移転の際の騒動が
「島原の乱」のようであったことから「島原」と呼ばれるようになった。
以来、公許の花街として発展したが、遊宴のみならず和歌や俳諧などの文芸も盛んで
江戸中期には島原俳壇が形成されるほどの活況をせい呈したという。
現在は角屋(重文)、輪違屋、大門のみが往時の面影を留めている。
元禄年間(1688~1704)の創業以来320年以上も営業を続ける輪違屋は
饗宴の場である「揚屋」の角屋に対して、太夫や芸妓を抱える「置屋」である。
今も営業中です。
「京の夏の旅」より